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弟夫婦のラブラブなSNS投稿を見て無心でポテトチップス(のり塩)を食べ続けた実家住まいの非正規雇用43歳独身男性キムかつ

 


 

 

『海苔塩の侵略』

蛍光灯がチカチカと瞬く深夜、キムかつ(43歳・独身・非正規雇用・実家暮らし)は、万年床と化した布団の上でスマートフォンの画面を凝視していた。画面には、満面の笑みを浮かべた弟夫婦の写真が映し出されている。キラキラした加工が施され、「#結婚記念日 #愛してる #最高のパートナー」といった、キムかつの神経を逆撫でするハッシュタグが並んでいた。弟は一部上場企業に勤め、昨年都内にマンションを購入した。片やキムかつは、実家の子供部屋から出られず、派遣の軽作業で日銭を稼ぐ日々。その格差が、スマートフォンの明るい画面との対比で、より一層、暗く重くキムかつの心にのしかかる。

「…………別に、羨ましくなんかないし」

誰に言うでもなく呟き、キムかつは脇に置いてあった大袋のポテトチップス(のり塩)に手を伸ばした。パリッ。乾いた音が部屋に響く。塩気と青のりの風味が口の中に広がるが、味はよく分からない。ただ無心で、機械的に、彼はチップスを口に運び続けた。SNSのフィードをスクロールする指と、チップスを掴む指が、まるで別の生き物のように動き続ける。弟夫婦の次の投稿は、おしゃれなレストランでのディナーの写真だった。キャンドルの灯りが二人の幸せそうな顔を照らしている。

パリ、パリ、サク、サク……。

キムかつは食べるのをやめられない。袋はあっという間に空になり、彼は躊躇なく戸棚から新しい袋を取り出した。今夜3袋目だ。胃がもたれる感覚も、塩分過多への懸念も、今の彼にはどうでもよかった。ただ、この画面の中の「幸福」から目を逸らすための、防衛本能のようなものだったのかもしれない。

その時、奇妙なことに気づいた。指先に付着した青のりの粒子が、やけに鮮やかな緑色をしている。そして、払っても払っても、なぜか指から離れないのだ。まるで、皮膚に根を張ろうとしているかのように。

「…なんだこれ」

気味悪く思いながらも、食べる手は止まらない。SNSには弟夫婦の飼い犬(トイプードル)が、二人にじゃれついている動画がアップされた。「家族が増えました(笑)」というコメント付き。キムかつの心臓が、嫌な音を立てて軋む。

パリッ!

 


 

ひときわ大きな音を立ててチップスを噛み砕いた瞬間、異変は加速した。指先だけでなく、手の甲、腕、さらには布団や床に散らばった青のりの粒子が、もぞもぞと動き始めたのだ。それは、まるで微細な昆虫の大群のようにも、あるいは、急速に成長するカビのようにも見えた。

「うわっ!?」

キムかつは思わず声を上げ、ポテトチップスの袋を取り落とした。床に散らばったチップスからも、青のりが生き物のように這い出し、互いに繋がり、薄い膜のようなものを形成し始めた。部屋には、磯のような、それでいて乾燥したような、奇妙な匂いが立ち込める。

それは、海苔だった。ポテトチップスに付着していた、あの小さな青のりの破片が、キムかつの嫉妬と孤独感を養分にして、異常な速度で増殖・巨大化しているのだ。

「な、なんだよこれ…悪夢か…?」

パニックになりながら後ずさるが、足元にも緑色の侵略は迫っていた。畳の縁を覆い尽くし、壁紙を伝い、天井にまで達しようとしている。それはもはや単なる海苔ではなく、意思を持った巨大な生命体の一部のように見えた。部屋の蛍光灯の光を吸収し、不気味な緑色の影を広げていく。

SNSの画面は、まだ弟夫婦の幸せな瞬間を映し続けている。しかし、その画面の上にも、黒緑色の海苔の繊維が、まるで血管のように、ゆっくりと、しかし確実に伸びてきていた。

「や、やめろ!こっちに来るな!」

キムかつは叫び、近くにあった雑誌を掴んで海苔を叩き落とそうとした。しかし、海苔は叩いても千切れるだけで、すぐに自己修復し、さらに勢いを増してキムかつに迫ってくる。それはまるで、彼の心の闇が具現化したかのようだった。弟への羨望、自分自身への絶望、社会からの疎外感…それら全てが、この不気味な海苔の怪物と化して、彼を飲み込もうとしている。

助けを呼ぼうと口を開いたが、乾いた唇から漏れたのは「カサ…」という、海苔が擦れるような音だけだった。声帯まで侵食され始めているのかもしれない。手足の感覚も鈍くなり、まるで全身を乾燥した海苔で簀巻きにされているようだ。


 

 

息が苦しい。視界も緑色の膜に覆われていく。最後に彼の目に映ったのは、海苔の隙間から覗くスマートフォンの画面――弟夫婦が、夕日をバックにキスをしている写真だった。どこまでも、どこまでも、キムかつの現実とはかけ離れた、眩いばかりの幸福。

「……しょっぱいな…」

それが、キムかつが最後に感じた味覚だったのか、それとも流れ落ちた涙の味だったのか。やがて、彼の意識は完全に海苔の闇に飲み込まれていった。

翌朝、キムかつの母親が部屋のドアを開けた時、そこにキムかつの姿はなかった。ただ、部屋全体が、床も壁も天井も、びっしりと乾燥した海苔のようなもので覆い尽くされていた。中央には、布団の形をした海苔の塊が盛り上がり、その上には、画面が真っ暗になったスマートフォンと、空になったポテトチップス(のり塩)の袋が、まるで墓標のように残されているだけだった。部屋には、潮の香りと、言いようのない空虚感だけが漂っていた。

キムかつは、海苔になったのか。それとも、海苔に喰われたのか。あるいは、嫉妬という名の海苔に包まれ、永遠に弟夫婦の幸福なSNSを眺め続けるだけの、情けない存在と成り果てたのかもしれない。どちらにせよ、彼にハッピーエンドが訪れることは、もう二度とないだろう。

 


 

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