西暦20XX年、梅雨明け間近の蒸し暑い日が続く午後、愛知県某所の築30年を超える木造アパートの一室は、熱気と微かな電子機器の匂いに満ちていた。キムかつは、Tシャツの背中にべっとりとかいた汗を感じながらも、作業台に広げた自作のゲームコントローラー「サイクロン号」に全神経を集中させていた。
「ふむ…ファンの回転も良し、七色のLEDも問題なし。完璧だ!」
精密ドライバーを置き、満足げに呟く。明日に控える「鉄拳8 超初心者向け講座」と銘打ったゲーム配信に向けて、彼の最高の相棒は万全の仕上がりを見せていた。キムかつは40代独身、実家暮らし、そして非正規雇用。世間一般から見れば、決して華々しいとは言えないプロフィールだ。しかし、彼には誰にも負けない情熱があった。それは、格闘ゲーム、特に「鉄拳8」への並々ならぬ愛、そして彼の心のオアシスである二匹の愛猫、茶白ねこの「うーろん」と茶トラねこの「ぷーある」への深い愛情だった。
部屋の隅、使い古された座椅子の上では、茶白ねこのうーろんが丸くなって気持ちよさそうに眠っている。その傍らでは、茶トラねこのぷーあるが、好奇心旺盛な瞳でサイクロン号の周りをちょこまかと動き回っていた。猫の毛が舞い散る部屋だが、キムかつにとっては最高の癒やし空間だ。
「お前たちも、明日の配信応援してくれるか? うーろん、ぷーある」
サイクロン号を両手に持ち上げ、猫たちに語りかける。ぷーあるは「ニャー」と短く返事をし、うーろんは寝たまま尻尾を小さく振った。その瞬間、部屋の蛍光灯が突如として激しくチカチカと点滅し始めた。まるで生命が宿ったかのように、光が乱舞する。
「ん? またか。大家さん、早く直してくれないかな…」
キムかつが呆れたように天井を見上げた、その矢先だった。蛍光灯から放たれた光は、それまでの点滅から一転、部屋全体を真っ白な、強烈な閃光で包み込んだ。網膜に焼き付くような光に、キムかつは思わず目を瞑る。次の瞬間、耳元で聞いたことのない、しかしどこか懐かしいような、深く重い機械音が響き渡った。
「ヴォオオオオ…ズン…ヴォオオオオ…」
それは、彼の自作コントローラー「サイクロン号」のファンが唸る音に似ていたが、はるかにスケールが大きく、周囲の空気を震わせるような響きがあった。恐る恐る目を開けると、そこは先ほどまで見慣れたはずの、生活感あふれる彼の部屋ではなかった。
「な、なんだここは…!?」
目の前に広がるのは、金属と蒸気の異様な世界だった。巨大な歯車がいくつも複雑に組み合わさり、ゆっくりと、しかし確かな重みをもって回転している。そこかしこからシューシューと蒸気が噴き出し、まるで巨大な生きた機械のようだ。床は冷たい金属製で、足元からは微かな振動が伝わってくる。壁面には、彼の常識では理解不能な、幾何学的な模様や未知の言語の記号がびっしりと刻まれていた。SF映画のような、いや、それ以上に現実離れした光景だった。
そして、何よりも彼の目を奪ったのは、両手の中に握られているはずの「サイクロン号」だった。それは、彼の自室にいた時とは比べ物にならないほど、鮮烈な七色の光を放っている。二つのファンは今まで以上の勢いで高速回転し、その回転音は周囲の機械音にも負けない存在感を放っていた。まるでサイクロン号自体が、この異世界に呼応し、変容したかのようだった。
「サイクロン号…? 一体何が起こったんだ…?」
混乱がキムかつの頭の中を支配する。その時、彼の肩に、軽い衝撃と共に何かがちょこんと飛び乗った。見ると、紛れもない彼の愛猫、うーろんとぷーあるではないか!
「うーろん! ぷーある! なんでお前たちがここに!?」
茶白の毛並みのうーろんと、茶トラのぷーある。二匹の猫もまた、いつもと違う状況に戸惑っている様子で、キョロキョロと目を丸くして周囲を見回している。ぷーあるは不安げにキムかつの首元に顔をうずめ、「ニャー」と小さく鳴いた。
「大丈夫だ、お前たち…」
キムかつは、その小さな命を守るように、無意識に二匹を抱き寄せた。この状況で何が起きているのか全く理解できないが、猫たちだけは絶対に守らなければならない。非正規雇用で冴えない毎日を送っていても、彼にとって猫たちは唯一無二の光だった。
その時、背後から低い、しかし響くような声が聞こえた。
「ほう…異世界の住人か。それに、興味深い機械と奇妙な生き物を連れているな」
キムかつはゾクリと背筋が凍るのを感じ、ゆっくりと振り返った。そこに立っていたのは、全身を深い黒のローブで覆い、顔をフードで隠した謎の人物だった。その人物の手には、禍々しい紫色の光を放つ、骨のような形状の杖が握られている。その光は、周囲の蒸気と金属の冷たい光を吸収し、さらに不気味さを増していた。
「あ、あなたは…?」
警戒しながら問いかけるキムかつに、その人物は変わらず低い声で答えた。声には感情が一切感じられず、まるで機械が話しているかのようだった。
「わしは時の狭間を彷徨う者。お前たちは、何かの拍子にこの歪んだ空間に迷い込んだのだろう」
「時の狭間…歪んだ空間…?」
キムかつの頭の中で、疑問符がいくつも乱舞する。非正規雇用の悲哀も、明日のゲーム配信の心配も、このあまりにも現実離れした状況の前では、すっかり頭から吹き飛んでいた。
「きさまら、一体ここで何をするつもりだ?」
謎の人物は杖を構え、その先端をキムかつに向けた。紫色の光が一段と強まり、威圧するように迫る。その瞬間、キムかつのトレードマークである、風になびく赤いマフラーが、どこからともなく吹いてきた強い風に煽られ、大きく波打った。まるで彼の内なる闘志が、形になったかのようだ。
そして、彼の茶色の指切りグローブをはめた手が、咄嗟にサイクロン号を握りしめる。長年「鉄拳」をプレイし続けた反射神経が、彼の体を無意識に動かしていた。さらに、普段はゲーム実況の際にしかかけないはずの茶色のティアドロップサングラスが、なぜか彼の顔にしっかりと装着されていた。レンズ越しに見える謎の人物の姿は、以前よりも鮮明に、しかしどこか異質な光を放っているように見えた。
(まさか…本当に異世界に飛ばされたってのか? こんな馬鹿なことが…でも、現実にここにいる。それに、この状況で立ち止まっているわけにはいかない!)
この奇妙な場所で、うーろんとぷーあるを守らなければならない。そして、元の世界に戻る方法を見つけなければ。頭の中は混乱しているが、彼の本能が警鐘を鳴らしていた。
「俺は…ただのゲーム好きの男だ! あなたに危害を加えるつもりはない!」
そう叫びながらも、キムかつはサイクロン号のボタンに指をかけた。左手の親指が方向キーを、右手の指がアクションボタンを無意識になぞる。彼の脳裏には、数えきれないほどの「鉄拳8」の対戦経験がフラッシュバックしていた。
「ふん、戯言を!」
謎の人物はキムかつの言葉を一蹴し、杖から禍々しい黒い光線を放ってきた。光線は空気を切り裂くように真っ直ぐにキムかつへと向かう。その瞬間、キムかつは身を翻し、長年のゲームプレイで培った瞬時の判断力と反射神経で、光線を紙一重で回避する。回避した光線は、後方の巨大な歯車の一部を溶かし、白い煙を上げさせた。
「サイクロン号! 発進だ!」
キムかつの言葉に応えるように、サイクロン号のファンが「ヴォオオオオ!」と最高速度で回転し始めた。七色のLEDは激しく明滅し、光の残像が彼の周囲に虹色のオーラをまとう。コントローラー全体が微かに、しかし確かに振動し、まるで彼の意思と同期したかのような感覚がキムかつの手に伝わってきた。
「な、何だその機械は!?」
謎の人物が驚愕に目を見開く中、キムかつはサイクロン号を構え、長年使いこなしてきた「三島一八」の得意技である「三島流喧嘩空手」の構えを取った。その姿は、冴えない非正規雇用の中年男性とはかけ離れた、まるでゲームのキャラクターが現実世界に現れたかのような迫力があった。
「俺のサイクロン号は、ただのコントローラーじゃないんだよ!これは、俺の…相棒なんだ!」
かくして、何の因果か異世界へと飛ばされてしまったキムかつと、彼の愛する二匹の愛猫うーろん(茶白ねこ)とぷーある(茶トラねこ)の、ハチャメチャで奇想天外な冒険が幕を開けたのだった。果たしてキムかつは、この未知の異世界でどんな活躍を見せるのか? そして、無事に元の世界に戻ることができるのか!? 次回に続く!


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