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7月, 2025の投稿を表示しています

猫カフェで他の客の猫に言い寄ろうとして店員さんにやんわり注意された実家住まいの非正規雇用43歳独身男性キムかつ

    猫と蛍光灯と、四十三歳の宇宙 蛍光灯が単調なハム音を立てる。四畳半の自室。壁にはいつ貼ったかも忘れたアイドルグループのポスターが煤けている。キムかつ、四十三歳、独身、実家暮らし、非正規雇用。彼の宇宙は、この部屋とコンビニと、週に一度の猫カフェ「にゃんだーランド」で完結していた。 キムかつの非正規の仕事は、古紙回収センターでの仕分け作業だ。古新聞や段ボールの山に埋もれながら、彼は時折、インクの匂いに混じって、遠い銀河の猫型宇宙人のテレパシーを受信していると信じていた。それは、彼が抱える巨大な孤独感を埋めるための、ささやかな防衛機制だったのかもしれない。     その日、キムかつはくたびれたスウェットから、なけなしの金で買った、少しだけ「まし」なポロシャツに着替えた。襟が微妙に黄ばんでいるのは見ないふりをする。目的地は「にゃんだーランド」。そこは彼にとって、古紙センターの埃っぽさとは無縁の、清潔で柔らかな聖域だった。 ドアを開けると、猫特有の甘い匂いと消毒液の匂いが混じり合った空気が彼を迎える。壁際のキャットタワーでは、毛皮の貴族たちが気ままに昼寝をし、床では子猫たちがじゃれ合っている。キムかつは受付で規定料金を支払い、震える手で消毒スプレーを吹きかけた。彼の視線は一点に注がれていた。窓際の席で、一人の女性客の膝の上で優雅に香箱座りをしている、純白のペルシャ猫。キムかつはその猫を「スノーエンジェル」と密かに呼んでいた。 彼はスノーエンジェルこそが、猫型宇宙人の女王であり、自分をこの退屈な地球から連れ出してくれる存在だと固く信じていた。問題は、スノーエンジェルには既に「地球での仮の保護者」がいることだ。膝の上に乗せている、小綺麗なワンピースを着た女性。キムかつは彼女を「障壁」と認識していた。 キムかつは、空いている席には目もくれず、スノーエンジェルのいるテーブルへ、まるで引力に引かれるように近づいた。女性客はスマホを見ていて、キムかつの接近に気づいていない。彼はそっと膝をつき、四つん這いに近い姿勢になった。床に額がつきそうなほど頭を下げ、囁く。 「女王陛下…迎えに参りましたぞ…この地球の軛(くびき)から貴女様を解放し、共に星々の海へ…」 彼の声は、周囲の客たちのひそひそ話や、猫の鳴き声にかき消されるほど小さかった。しかし、その...

地獄のそうべえと発明家キムかつ ~閻魔大王のQOL向上計画~

第一章:灼熱のウェルカム 賽の河原は、うだるような熱気と、亡者たちの乾いた悲鳴に満ちていた。 「こりゃあ、たまげた。聞いてはいたが、本当に地獄なんてものがあったんだな」 軽業師のそうべえは、生前、綱渡りの芸の最中に足を滑らせて命を落とし、今こうして三途の川を渡り終えたばかりだった。彼の傍らには、同じく不運にも道連れとなった歯抜き師のしかい、医者のちくあん、そして山伏のふっかいが、地獄のあまりの熱さに汗をだらだらと流しながら立ち尽くしている。 見渡す限り、赤黒い大地が広がり、血の池地獄からはむせ返るような臭気が立ち上る。針山では無数の亡者が串刺しになり、その叫び声が熱風に乗って運ばれてくる。赤鬼、青鬼が巨大な金棒を振り回し、亡者たちを追い立てている様は、まさにこの世の終わり、いや、この世が終わった先の光景そのものだ。 「わしらも、釜茹でにでもされるんかのう…」 ちくあんが震える声で言うと、ふっかいが印を結び、「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」と力強く唱えた。しかし、九字護身法もこの灼熱地獄の物理的な暑さの前には気休めにしかならない。 「おい、そこの突っ立ってる亡者ども!さぼるな!貴様らには、灼熱地獄のフルコースを味わわせてやる!」 頭に二本の角を生やした巨大な赤鬼が、一行に気づいてげらげらと笑う。絶体絶命。そうべえが懐の扇子でパタパタと自らを扇ぎ、何か涼しげな芸でもしてごまかせないかと考えた、その時だった。 ブォォォンンン!!! 突如、地獄の淀んだ空気を切り裂いて、けたたましい機械音が鳴り響いた。音の発生源は、なんと虚空。空間が陽炎のようにぐにゃりと歪み、そこから目も眩むような七色の光が迸った。 「な、なんだぁ!?天変地異か!」 鬼も亡者も、そしてそうべえたちも、何事かと空を見上げる。光の中心から、ゆっくりと何かが降下してくる。それは、どう見ても地獄の風景にそぐわない、異質な物体だった。黒い革張りの、立派な椅子。そして、その椅子に深々と腰掛け、状況を把握できずにいる一人の男。 歳は四十がらみ、体重は九十キロはあろうかという巨漢。オールバックに固めた髪は汗で少し乱れ、茶色のティアドロップサングラスが地獄の熱でじりじりと熱を持っている。首には、地獄の熱風を受けてもいないのに、なぜか赤いマフラーが勇ましくたなびいていた。両手は茶色の指切りグローブに覆われ、膝の上には得...

実家の自分の部屋だけなぜか昭和の時間が流れている気がする実家住まいの非正規雇用43歳独身男性キムかつ

      昭和ノスタルヂア・デイドリーム 西暦2025年、玲瓏たる令和の光が降り注ぐ住宅街の一角。しかし、キムかつ(43歳・独身・非正規雇用・実家暮らし)の自室だけは、頑なに昭和後期の空気を吐き出し続けていた。黄ばんだ壁紙、ブラウン管テレビの残骸、アイドルなのか女優なのか判然としない女性のポスターは、セピア色を通り越して煤けている。部屋に満ちるのは、防虫剤と古紙、そしてキムかつの澱んだ溜息が混じり合った、独特の匂い。 キムかつは、近所のダンボール工場で、来る日も来る日もベルトコンベアを流れる無地の箱に、ただひたすらガムテープを貼るだけの作業に従事していた。最低賃金ギリギリの時給。社員登用の話など、夢のまた夢。同僚は年下ばかりか、異国の言葉を話す若者たち。彼らの溌溂とした会話の輪に、キムかつが入る隙間はなかった。ただ黙々とテープを貼り、休憩時間はスマホで昭和の歌謡曲をイヤホンで聴く。それが彼の世界の全てだった。 家に帰ると、リビングからは両親が見ているワイドショーの騒々しい音が漏れ聞こえてくる。キムかつはそれに背を向け、自室の軋むドアを開ける。一歩足を踏み入れると、空気が変わる。令和の喧騒が嘘のように遠のき、耳には幻聴のように、微かに『ザ・ベストテン』のイントロが響く気がした。 「ただいま、聖子ちゃん…」 壁のポスターに声をかけるのが、彼の唯一のコミュニケーション。ポスターの彼女は、永遠の笑顔で応えてくれる…ようにキムかつには見えた。     彼の部屋の奇妙さは、単なる古さではなかった。時々、不可解な現象が起こるのだ。誰もいないはずなのに、黒電話のベルが「ジリリリン!」とけたたましく鳴り響く。受話器を取れば、聞こえるのは砂嵐のノイズと、遠い日の雑踏のような音だけ。ブラウン管テレビは、電源が入っていないにもかかわらず、深夜になると砂嵐の奥に、白黒の力道山の試合や、『ひょっこりひょうたん島』の断片のような映像を幻視させることがあった。 キムかつは、それを恐怖ではなく、むしろ郷愁と安らぎをもって受け入れていた。この部屋だけが、彼を拒絶しない。昭和という、彼が最も輝いていた(と勝手に思い込んでいる)時代が、ここには息づいているのだ。中学時代、クラスのマドンナに渡せなかったラブレター。友達と熱狂したファミコン。初めて買ったレコー...